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ジュニ検 スタディウォーク!10月29日 [ジュニア日本文化検定]

10月29日 水野直樹さんの案内で スタディウォークが開催されました
当日は、若干曇りだけど ちょうどいい天候と、約30名くらいのちょうどいい参加人数で
ぼちぼちとしたひとときでした 
午後1時 東大路通り 徳成橋に集合
水野さんより きょう一日の予定の発表とレジュメの配布
まずは、疎水を西にいって
①夷川発電所 
レンガ造りのこの発電所と貯水池の工事には朝鮮人労働者が従事していたとの
ことで、同じ時期にたくさんの朝鮮人労働者が従事していた宇治川水力発電所の
工事(1908-1912年)の話になり、私はユンドンジュ(尹東柱)の最後の写真が
宇治川つり橋であることの奇遇を思いました
(ぜひ いつか 宇治川スタディツアーしてみたいです!) 
かつて疎水で泳いだことのある方もいて踏水会の思い出ばなしも興味深かったです 
写真をみてみたい!

②水平社創立記念碑
京都会館の後ろに今は市立美術館の分館になっているのが岡崎公会堂
1922年(大正11年)ここで全国水平社の創立大会が開かれた その正面左に 
1982年立てられたのが水平社創立記念碑  水平社宣言を記した碑があったのでは?
と分館のガードマンにきいてみるが、わからなかった。
ここで あの感動的な水平社宣言が3000人の観衆の前で読み上げられたのか その時のことを
想像すると 自分もその中にいたのかもしれない気がして、歴史を肌で感じられどきどき。

③「ここはお国の・・・」の歌碑 (1927年建立)
知恩院にいくまでのお寺の前にある
作詞者が京都にゆかりのある人だったので立てられたようだ 碑の文字は「肉弾」
などの戦記文学で有名な桜井忠温。桜井は、1932年上海での天長節(天皇誕生日)
祝賀会で朝鮮独立運動家ユン・ボンギル(尹奉吉)が投げた爆弾で死んだ白川大
将の伝記小説も書いているとのことで、金沢で獄死したユン・ボンギルにも話が
及んだ。

④京都解放運動無名戦士の碑 


知恩院の山門の手前 左手の階段を上るとちょっと広い敷地にある 
美しい花が供えられていた 日本人は忘れてしまっていることも受け
継いでいっている人たちがいるのだということを真新しい花が示しているような気がした
⑤長楽館 (1909)
明治の煙草王村井吉兵衛が、迎賓館として建築 ルネサンス風の館内はカフェが繁盛
伊藤博文が宿泊したとき命名したそうだ 祇園であそんでうれしくって この楽しさが長く
続くように・・・って ことやろうね  エントランスには朝鮮風の石塔や石像がありました

石段下から、バスにのって(これがまた人が一杯やし、渋滞してるし・・・)馬町まで

⑥旧村井煙草工場
レンガづくりのたてもの 関西テーラーの看板があるけれど 
今は 住居として使われているようす
建物の上に おおきな鳥がはばたいている像がとりつけられていて 
村井吉兵衛の舶来趣味やなあと、感心して写真をとっていると、
現オーナーのおじいさんが 「熱心にごらんになっておられますが 
あれは戦後におやじがこの建物を買い取って、ハトがようさんくるので 
ハトよけにつけたんです」と教えてくださり 一同ぎゃふん!
このオーナーさんは親切に説明をしてくださり、「馬町」の名前の由来をしることに!
レンガ造りの建物の道沿いの壁に 鉄のわっかが 3つ程ついている それは、
この煙草工場が大繁盛して 荷馬車でここに買いとりにくるので 馬の手綱をつない
でおくわっか!ここにいつも馬がいるので 町名ではなく「馬町」と呼ばれる
ようになったのでした!
ああ 積年のなぞが とけた!これぞ ほんまものの京都の歴史!

⑦耳塚(鼻塚)
ここも 辛くて心の痛い場所 女子学生たちが「学校で習ったあ」「きも~い こわ~い」
といいながら足早に立ち去っていきました 「拉致とかいってるけど 日本もひどいことし
てんねんで!」っていえばよかったと後悔・・・
でも、ここにも うつくしい花が供えられていて、掃除もいきとどいていました。管理をしておられる
おじいさんが、鍵をあけてくださったので、廟の中にはいり お線香をあげさせてもらいました。
命を奪った上、鼻をそぐなんてひどい事をしてその「供養」をするなんて、欺瞞やし自己満足やし
保身やし ああ はらたつ!
 耳塚をネットで検索したら
 韓国耳塚霊魂還国奉納送 http://www.h7.dion.ne.jp/~bankoku/nkb/gyoji/gyoji_mimiduka.html
平成2年(1990年)4月22日、現地および京都国際会議場で仏教者より「耳塚」に眠る
霊魂を慰霊し、韓国に奉送するため、その霊土を韓国に持ち帰る法要が営まれ、翌23日、
鼻塚の霊土は釜山に到着、軍隊により英霊として迎えられた。
 との記事がありました 知りませんでした 耳塚の霊は祖国に帰れても、靖国の霊は帰れない
帰さない!憤怒!


と、ここで 私はおいとましたのですが
このあと みなさんは、バスで東福寺まで行って、

⑧万寿寺の前を通って、九条大橋を徒歩で渡って 焼肉屋へ 
万寿寺といえば、今思い出したけど 数年前に「浮島丸事件」の映画「エイジアンブルー」を
ここの本堂でみました ここに納められている遺骨もあるとお聞きしたような気がします

水野さん ありがとうございました!
京都にいても なかなか足を運ばないのでとてもいい機会でした!
みんなでゆっくり歩けたので、私は、今までお会いしていても きちんと自己紹介も
できていなかった方とお話ができたことも よかったです。




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直三

今年の「遠足」が楽しみですね。

ところで、「論楽社ほっとニュース」の2008.04.24 Thursday
副題「フォールスタッフのように」(コメント:えまのん)から
次の記事を見つけました。

>ネコはネコを殺さない。ゴキブリはゴキブリを殺さない。トンボもトンボを殺さない。
ネコもネコを殺しますよ。(コメント:えまのん)

虫賀さんは、成人と成人との関係で殺しあうのは人間だけだ。と書いたのにえまのんさんは、成猫と子猫との話しを持ち出しています。
これは言葉尻を取り上げている。無視していいのかとも思うけど。

会の名称変更に後押ししているように感じて書き込みます。

by 直三 (2008-04-25 05:26) 

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